ものぐさ日記

所謂“お笑いブーム”が下火のようでございます。某ネタ見せ番組が打ち切りになる噂などはその端的な兆候か。確かに芸人の消費サイクルの高速化や、とにかく芸人を雛壇に座らせておけばなんとかなるだろうという番組制作サイドの怠慢など、あまりよろしくない体質を孕んだブームだけに、そのツケが回ってきた格好ではあるのですが。
そんな中、ざこば師匠がもらした言葉にハッとさせられました。曰く『お客の質が落ちたんや』そうで、最近のお客はなんでもないことでも一応笑う、笑いがとれたからまた同じことをやりたがる、しだいにお客が飽きてしまう、飽きても代わりはいくらでも、その繰り返しがブームの本質というわけだそうな。
さすがは師匠、おっしゃることが人とはちがいます。師匠がおっしゃりたいのは享受能力、つまりは受け手の能力の低下が原因ということですな。これは名案、と膝をたたいたところではてな、それを玄人がいってはもはや手詰まりなのではございませんか。いや、師匠のおっしゃりたいことは充分わかります。わたしなどもせっかく丹精こめて準備した試聴機を10秒そこらで切り上げて、さっさとLADY GAGAを手に持ちレジに並ぶお客の浅ましさに日頃から苛立ち、歯噛みしているたちの人間でございます。それこそあのお客たちはわたくしの見立てた作品に反応できなかったがために人生を棒に振っただの、そもそも耳がついていないのではないかしらだのと自分にいいきかせ、日々の屈辱に耐え忍んでいるのでございます。それでも万に一つの偶然で、わたくしの試聴機を境に人生に光を見出すような幸福があるかもしれないという空想にすがってお勤めを果たしているのでございます。そしてその偶然をひとつでも多く目撃するためには、彼らの腐った耳を治療し更生させてやることが本筋、もっとも格好のつく正論のように思えるのでございます。
つまり教育、調教の類のお話ではありますが、わたくしなどは娯楽といわれる第三次産業全般においての著しい欠陥がこの辺りに潜んでいると思うわけでございます。もともと娯楽というのは楽しむために多大な暇と労力を要するものでございますが、たとえばあのネットの化け物というやつは、そうした性質を劇的に簡素化してしまおうという“ものぐさ精神”の賜物でございます。まるで怪物。そんな怪物を相手にして、鮮度やわかりやすさだけの勝負では、そりゃあ太刀打ちできませんぜ。ここはひとつじっくり腰を据え、暇と労力をよろこんでつかわせてやる方法を夢想してみようというわけでございます。ただ、そういうわたくし自身も暇をそれほどもてあましていられる身分でもございませんので、今回はこのあたりで失礼させていただきます。